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【コーエー三国志】史実武将 能力編集例メモ 5(王威~王経)

三国志信長の野望をやるときに武将の能力を細かく調整するのが趣味なんですが、何を根拠に自分がそういう調整を行ったのかがわからなくなることが多いため、メモとして残すことにしました。

三国志のエディットは「史実に寄せる人」と「演義に寄せる人」で分かれると思います。自分は基本的に史実と演義のいいとこ取りをする方針です。そのため、全体的に数値がインフレ化する傾向にあります。

また、各内容はインターネットで5分程度で調べて適当に解釈したものなので、間違っている可能性がかなりあります。

ステータス・スキルセットは三國志14PKの物です。主義・政策は調整による影響力が強すぎるので基本変えてません。

全武将の編集を目指しています。五十音順に気が向いたときに載せていく予定。
1記事5000~8000字ぐらいで区切ってます。女と古武将(いにしえ武将)は使わないので編集しません。

 

 

王威 オウイ

60 60 62 62 64

個性:地理 果敢 胆力 智嚢
戦法:足止 駆逐 強襲 急襲
陣形:魚鱗 雁行 鋒矢

演義・正史の両方で登場。劉表軍。
劉表が「理に適う陳情であれば身分を問わずに聞き入れる」という布告を出した際に陳事を評価され出世した。劉表の死後は子の劉璋に仕え、曹操軍が侵攻してきた際には「数千の兵で曹操を奇襲すれば捕らえられる」と進言したが、容れられなかった。
演義では蔡瑁劉備暗殺計画においてボディーガードとして張り付いている趙雲劉備から引き離す役を文聘とともに担った。

曹操なんて俺がやってやりますよ!」って言っただけで実際にはなんもしてないのに武力70はあげすぎ。趙雲に対抗する役というチョイ猛者イメージも込みではあるだろうけど。てか個性に地理ついてるのとかもはや何かが成功したみたいな評価だよな。何もしてないのに。全部50台でもいいかなって思ったけど劉璋の側近っぽいイメージで個性など含めかなり大サービスしてみた。それでも使うか怪しいライン。

 

王允 オウイン

63 60 72 85 72

個性:名声 能吏 法律 高慢
戦法:足止 混乱
陣形:方円 鶴翼

演義・正史の両方で登場。
豫州刺史。黄巾の乱に際しては荀爽や孔融を幕僚にし黄巾軍を撃破している。乱の終結後に十常侍張譲が黄巾族と内通していたことを告訴したが、霊帝が赦したため逆に投獄された。このとき多数の者が助命を嘆願したため、死刑を免れた。
霊帝が死去した後には実権を握った何進に招かれて河南尹となり、尚書令に任じられた。やがて董卓が台頭するとそこでも重用され、司徒に上った。董卓王允を高く評価して重く用いたが王允董卓に心服しておらず、日に日に異常さを増す暴政を憂慮し呂布を実行役として董卓の暗殺を決行した。暗殺が成功すると王允呂布を奮威将軍に任じて董卓派の官僚を素早く粛正し、董卓の一族も皆殺しにした。また、董卓に重用されていた文人の蔡邕が董卓の死を嘆くような言を吐いたために足を斬って投獄した。蔡邕が獄中で「史書を書き残したい」と申し入れた際には周囲の者が同情して許可を求めたが、王允武帝司馬遷によって史記の中で謗られてることを持ち出して「何を書かれるかわかったものではない」として許さなかった。呂布をはじめとする多くの者が董卓に従っていた涼州の兵を特赦するように提案した際にはこれを拒否して涼州の兵たちを都から追放した。王允董卓にへつらっていた者たちは勿論、呂布をはじめとする自分の味方をした将兵をも内心で見下しており、露骨に横柄な態度をとった上、少しでも董卓の息がかかっていた人物に対しては強硬な態度で臨んだため、急速に人望を失った。
董卓の部下だった李傕と郭汜が降伏を申し入れても許さなかったため、これまでの王允の行動から両者は自分たちが皆殺しにされるのではないかと錯乱し、進退が窮まった李傕と郭汜は賈詡の提案によって涼州の兵を率いて都に攻め入った。冷遇されていた涼州出身者から裏切り者が出たこともあり、呂布王允はこの戦いに敗北した。
撤退を決めた呂布はともに脱出するよう王允を誘ったが、王允献帝のそばに残ることを選択したため、李傕と郭汜に捕らえられ一族ともども処刑された。献帝はその忠節を忘れず、許に移ったのちに王允を改めて葬っている。

何進にも董卓にも評価されてるのは普通にすごいし董卓の暗殺も一応は成功させている。デフォだと統率28とかだけど、黄巾の乱では軍を率いて勝ったって書いてるし60ぐらいはあっても。董卓暗殺後の失敗がなかったら・・・とも思うけど極限に難しい状況であったことも確か。誰が「次は俺がやってやるぜ」と思ってるかなんかわからんし、危険分子は全部排除してクリーンにするという発想になるのも理解はできる。
デフォで小心ついてるけど別に小心ではないと思う。小心なら董卓暗殺の首謀者にならんでしょ。涼州出身者をそのまま都で野放しにしてたら正解だったのかつったら全然わからんし、蔡邕にひどい意地悪したみたいな解釈が一般的だけど、冷静に考えたら蔡邕のほうが逆張りのバケモンだろ。赤は緩和して高慢にした。

 

 

 

王楷 オウカイ

25 20 50 64 52

個性:論客
戦法:鎮静
陣形:方円 

演義・正史の両方で登場。呂布軍。
曹操のもとで従事中郎の官職に就いていたが、張邈や陳宮らとともに曹操を裏切って呂布兗州強奪に参加した。呂布曹操に押されて下邳に籠城せざるを得なくなると救援要請の使者として袁術のもとへ派遣され、援軍を渋る袁術を説得して援軍を約束させた。しかし袁術が援軍を出す前に呂布が敗北したため、結局この約束は果たされなかった。呂布曹操に敗れた後の消息は不明。

デフォの能力設定でほぼ異論ないけど、わざわざ自分から泥船に乗り込んでるので若干知力下げ。魅力50切ってるのはよくわからなかったのでちょい盛り。

 

王観 オウカン

59 12 77 85 85

個性:振興 法律 親鮮 寡欲 能吏
戦法:井闌
陣形:方円 井闌 

演義・正史の両方で登場。魏軍。
曹操の後半期に取り立てられ、役人として堅実に実績を積み重ね、公平で誠実な人柄を評価され曹芳の代には中央の裁判を担当するようになった。曹爽が政治を専横するようになると王観は法をもって曹爽の派閥に干渉して正そうと試み、曹爽らに警戒されたという。
司馬懿が台頭すると中領軍代行に任命され、その後も昇進を続けた。晩年には司空に任じられ、固辞を重ねた上で就任して数日で官位を返上して引退した。

ヒラから司空までいってて政治78は低すぎる。右側を全上げして個性に能吏を追加。最後に名誉として就いただけ?みたいな感じもあるので三公まで上ってバリバリ仕事した人達よりは低めに。

 

王基 オウキ

87 80 92 84 92

個性:驍将 疾走 掃討 農政 振興
戦法:聡明剛毅 突撃 斉射 鯨波 急襲 投石 衝車
陣形:方円 魚鱗 雁行 投石 衝車

演義・正史の両方で登場。魏軍。
王淩に見出されて別駕となり、その政治を補佐した。王淩は善政による統治で名高かったが、これは王基の助言による部分も大きかったという。王朗がその評判を聞きつけて王基を中央に召集しようとした際には王淩が手放すことを拒んで阻止した。のちに司馬懿から招聘を受け中央に入り、中書侍郎となる。この頃には儒学者として王粛と論争した記録や曹叡の宮殿造営に故事を引いて諫言した記録が残っている。一度事件のため官職を辞したが、曹爽に呼び出され復帰し、安豊太守に任命された。呉との国境にあたる難しい地域の統治であったが、善政を敷いて呉につけ入る隙を与えなかった。
曹爽の専横が強まると王基は曹爽の属官でありながら著書の中でこれを批判した。曹爽の失脚後には荊州刺史となり、揚烈将軍に任じられた。
王昶の呉征伐に参加し、別働隊を率いて兵糧庫を強襲し30万石を奪った。安北将軍の譚正を捕らえて数千人の将兵を降伏させ、夷陵に県を設置して降伏者を入植させた。この功績によって関内侯に任じられている。王基は呉との国境を固め、軍事と内政の両面をよく整備したため人民も心服し、名声を高めた。呉の動向や進軍の時期などについては中央が王基の意見を第一に聞くほどの立場となり、鄧艾や石苞と並んで重鎮として名が挙がっている。
毌丘倹と文欽の反乱が起こった際には許昌の軍を預かり、討伐軍の先鋒を任された。このとき王基は諸将が反対する中で物資が集積されていた南頓の確保を強行し、毌丘倹よりも先に南頓に入ることに成功したため、毌丘倹は文欽と戦力を二分しての別行動を余儀なくされた。更に王基はそのまま項城を落として毌丘倹を降した。戦後には都督豫州諸軍事、鎮南将軍に任じられ、豫州刺史と兼任した。安楽郷侯の爵位を授けられ、自分を養育した叔父の実子に所領を分け与えることを上奏して認められている。
諸葛誕の反乱の際は鎮東将軍、都督揚豫諸軍事を兼務した。諸葛誕の軍は精兵揃いであり呉からも援軍が出てきていたため一度退いて態勢を整えるべきという意見が多く、司馬昭も賛同してそのように命令を下したが、王基は速攻を主張して司馬昭に命令を撤回させた。王基の言を容れた司馬昭は軍吏の自由行動を許さず、王基の命令に服すことを徹底させた。果たして王基は司馬昭の信頼に応えて諸葛誕の籠る寿春を陥落させることに成功し、迫る呉軍も破って勝利した。
司馬昭は勢いに乗って呉への反攻を考えたが、王基がこれに反対したことによって思いとどまっている。王基は征東将軍、都督揚州諸軍事となり東武侯に任命された。このときは部下に功績を譲ったため、王基の部下7名が侯に上った。
のちに王基の母が死去した際には朝廷のはからいで亡父に北海太守を追贈し両親ともに洛陽で合葬とされた。のち征南将軍、都督荊州諸軍事となって新野で対呉の指揮を執り、呉の鄧由が投降してきた際にはそれが罠であると見抜くなど、働きは晩年まで衰えなかった。死後には司空を追贈されている。

いやいやこれで全ステ70台なわけないだろ。軍勢を率いて良し、統治やらせて良しのスーパーマン。後半なんか君主のほうが「キミがそう言うなら・・・」つって全部言うこと聞いて、結果それで全部正解だし人格面でも立派な話ばかりで欠点ない。全能力を大幅に上方修正。個性、戦法、陣形はもともと強いけど更に強化。超一流クラスに調整。

 

王頎 オウキ

77 75 69 73 68

個性:長駆 嚮導 掃討 
戦法:急襲 強襲 罵声 斉射
陣形:鋒矢 魚鱗 衝車

演義・正史の両方で登場。魏軍。
毌丘倹の東方遠征(高句麗討伐)に参加して功を挙げ、東方諸郡(朝鮮半島地域)の太守を歴任した。日本にも影響力を持ち、使者を派遣して邪馬台国と狗奴国の仲裁を行うなどの活動も行っている。のち天水太守となり鄧艾のもとで蜀漢征伐にも参加。沓中の姜維を攻めてこれを破った。晋代には汝南太守に任命された。

辺境の征伐に活躍して制圧した地域の統治も行っている。キャリア見ると結構すごそうな感じなんだけど、太守を歴任してそれ以上には上がっていない辺り70台のスケールかなと。デフォだとちょっと低いと感じたので全体的にちょい盛りして個性、戦法、陣形も1つずつ追加。

 

 

王匡 オウキョウ

44 42 46 69 71

個性:運搬 輿望 
戦法:奮戦 激励 罵声
陣形:錐行

演義・正史の両方で登場。後漢の河内太守。
施しを好む性質で若くして任侠の人として知られた。何進に仕えて後方の補給や輸送を担当する役職を務めていたが、宦官によって何進が殺害されたため一時職を辞した。のちに復帰すると河内太守となり、諸侯によって反董卓連合の軍が起こるとこれに参加したが、対董卓戦では進軍中に挟撃を受けて大敗した。その後董卓から和睦の使者として胡毋班がやってきたが、袁紹の意を受けてこれを斬り捨てたため、胡毋班の遺族に恨まれて王匡は暗殺された。
演義では虎牢関の戦いで先鋒を務めて配下の方悦を繰り出すも、方悦が呂布に一撃で討ち取られたのを見て恐れをなして逃亡する。登場はその場面のみ。

デフォ能力高すぎじゃないか?勝った話いっこもないのに統率65?政治と魅力は高めのまま(それでも下げた)にしたけど、全体的に下方修正。
コーエーって「任侠として知られた」みたいなこと書いてるやつの能力高くつけるクセあるよな。個性と陣形も調整。

 

王業 オウギョウ

32 6 64 77 57

個性:学者 能吏 法律
戦法:
陣形:方円

演義・正史の両方で登場。魏軍。
劉表の外孫。曹髦から司馬昭を暗殺する計画に誘われたが、これを司馬昭に報せたため曹髦は討たれた。晋代には尚書左僕射に上り、泰始律令の編纂にも携わった。

僕射っていうのは次官のことらしい。結構上かも。律令は国民が守るべき行動規範を定めるもので、これを決めるメンバーに呼ばれてるのもすごいっぽい。てかデフォで小心ついてるけど言うほど小心か?これ毎回言ってるな・・・。暗殺計画を密告するのは別に小心だからではないだろ。知力、政治、魅力を上げて個性に学者、能吏、法律。小心は削除。

王経 オウケイ

31 30 53 82 77

個性:能吏 文化 振興 教化
戦法:
陣形:方円

演義・正史の両方で登場。魏軍。
平民の出身ながら同郷の崔林に推薦されて官職についた。何度か官職を棄てて帰郷している。その度に呼び戻され、雍州刺史まで出世した。姜維が隴西郡に侵攻してきた際には陳泰の命で狄道を守備し、大敗して数万の兵を失った。軍務では失敗したが中央の政治では活躍を続けて尚書令に任じられた。
司馬氏が政治を牛耳るようになると曹髦に呼び出されて司馬昭を暗殺する計画を打ち明けられる。このとき、同席した王業と王沈は司馬昭にこのことを報せて出頭したが、王経は曹髦を庇って秘密を守ろうとしたため一族ともども処刑された。

なんでこれで統率65?軍事は大幅に下げた。姜維相手に自分から動いて負けてるところはマイナスでしかない。曹髦を庇って死んだのは知力マイナス要素かな。一方で平民から刺史、尚書令はめちゃくちゃすごい。政治と魅力は上げた。