三国志と信長の野望をやるときに武将の能力を細かく調整するのが趣味なんですが、何を根拠に自分がそういう調整を行ったのかがわからなくなることが多いため、メモとして残すことにしました。
三国志のエディットは「史実に寄せる人」と「演義に寄せる人」で分かれると思います。自分は基本的に史実と演義のいいとこ取りをする方針です。そのため、全体的に数値がインフレ化する傾向にあります。
また、各内容はインターネットで5分程度で調べて適当に解釈したものなので、間違っている可能性がかなりあります。
ステータス・スキルセットは三國志14PKの物です。主義・政策は調整による影響力が強すぎるので基本変えてません。
全武将の編集を目指しています。五十音順に気が向いたときに載せていく予定。
1記事5000~8000字ぐらいで区切ってます。女と古武将(いにしえ武将)は使わないので編集しません。
衛瓘 エイカン
82 72 88 89 79
個性:振興 法律 文化 名声 策士
戦法:奇計九条 激励 攪乱 火矢 井闌 投石
陣形:魚鱗 錐行 方円 井闌 投石
演義・正史の両方で登場。魏軍。
父が曹操と曹丕の2代に仕えた役人であり、父の爵位を継いでエリートとしてキャリアをスタートさせている。やっていることは演義と正史でほぼ変わらない。蜀征伐におけるドタバタで立ち回って鄧艾と鍾会を殺害した。演義の描写はここまでだが、晋の時代には司馬炎に信任されて爵位は公に進み、征東将軍、征東大将軍、征北大将軍を歴任した。烏桓を晋に帰順させる事に成功しており、離間策をもって拓跋部(鮮卑)の弱体化にも当たった。のち司空にまで上り詰め、衛瓘の政治は人々に支持され、大いに天下の名声を得た。晩年は司馬炎が自らの娘を衛瓘の四男に嫁がせるほどの権勢と信頼を誇ったが、最終的には政争に敗れて誅殺された。
演義では鄧艾と鍾会を殺害するセコい役な感じで終わっているが、実は晋代に司空にまで上った超大物。国家規模の大仕事をバリバリこなして昇進を重ねている。デフォ能力で一番意味がわからないのは魅力32。ステータスを全上げして個性、戦法、陣形もかなり調整。最期は内ゲバで敗北してしまったけど、それを加味してもこれぐらいあっていいと思う。
衛茲 エイジ
58 58 62 62 68
個性:召募 富豪 眼力
戦法:鼓舞
陣形:鶴翼
正史のみ。張邈の配下。
三公の招聘に応じないことがなぜ節操に優れるという評価になるのかは中国謎の価値観。それぐらい天下のことに興味がない衛茲だったが、まだ若造だった曹操にすっかり惚れ込んで気前よく私財を提供したため、曹操は5000の兵を得ることができたという。曹操とともに董卓軍の徐栄と交戦した際に戦死。
曹操の初期パトロンってだけで政治73はやりすぎ。立ち上げでめちゃくちゃ助かったっていうのをゲームに落とし込みたいという意図はわかるけど、個性もさすがにちょっと強すぎる。召募と富豪だけに減らしても十分強い。鶴翼も持ってるし。色々下げて眼力だけ追加。召募を活かすために武力はちょっと補強してあげた。
衛臻 エイシン
64 45 86 91 89
個性:沈着 罠破 規律 能吏 眼力
戦法:鼓舞 鎮静 牽制 大喝
陣形:鶴翼 投石 方円
正史のみ。魏軍。
衛茲の子。後漢朝廷に仕えて黄門侍郎となる。また、曹操から亡父の旧功を賞して爵位を与えられている。曹植と曹丕の跡目争いにおいては丁儀から曹植側に付くよう求められたが断っている。
曹丕が王位に就くと散騎常侍に、即位の際には安国亭侯に封じられた。魏の群臣は魏を称える一方で後漢の徳を貶したが、衛臻だけは禅譲の徳義(曹丕に帝位を譲ったから偉い!)を理由に後漢を称えた。曹丕は衛臻の見識に感心して山陽公と同様の扱いにすべきとし、衛臻は尚書に昇進した。その後は侍中・吏部尚書を転任。曹丕の広陵遠征の際には中領軍代行として随行している。この際、呉の降伏者から得た情報を「偽りではないか」と意見し、のちに衛臻の考えが正しかったことが判明している。
曹叡の代には康郷侯に爵位を進め、官吏の登用を担当。蔣済と人事について意見を交わしている。諸葛亮の北伐が始まると兵を派遣して蜀軍の糧道を断つように進言し、征蜀将軍・仮節都督涼州諸軍事に任命される。しかし、長安に着いた頃に蜀軍が撤退したため、交戦することなく帰還した。この時期、曹叡の宮殿造営を厳しく諫めており、道理に反する曹叡の政治干渉には毅然と反論している。また、孫権の合肥攻めに際しては朱然の陽動と呉の作戦意図を読み切って意見を的中させている。毌丘倹が公孫淵の征伐を求めた際には無謀であると反対し、実際に毌丘倹は失敗した。
晩年には司空に昇進し、さらに司徒となった。曹爽は尚書令を兼務させた上、自らの弟に衛臻の娘を嫁がせたいと申し入れたが、これは遠慮している。死後には大尉を追贈され、敬侯と諡された。
正史長い!七光りかと思って読んでたらドえぐい大物やん。スタート有利はかなり入ってるけど、本人が優秀だったのも間違いない。軍を率いてはいるけど交戦していない?ので軍事盛りは控えめにした。右側は大幅増加。個性には「敵の計略を読む」系のものを中心に改造。
越吉 エツキツ
79 87 50 50 59
個性:羌氐 豪傑 昂揚 直情
戦法:急襲 大喝 突撃 奮戦
陣形:鋒矢 長蛇
演義のみ。西羌の元帥。
蜀軍との戦いにおいて羌兵15万を率いて曹真の援軍として参戦。鉄騎馬隊と鉄車と呼ばれる兵器を用いて蜀軍を苦しめ、張苞、関興、馬岱らの主力相手に一時優位に立ったが、関羽の亡霊に阻まれて逃走。さらに諸葛亮が出ると形成が逆転し、陥穽の計にかかって関興に討たれた。
蛮族は知力と政治がどれだけ低くても良いし個性は猪突!みたいなのやめない?最後は孔明の罠にかかって死んでるけどそんなん魏や呉の武将も一緒だし・・・。関羽の亡霊が出てくるまで(てか関羽の亡霊が出てくるって何だよ)は張苞、関興、馬岱に勝ってるし、一騎打ちでも関興に勝ってるので全面的に能力アップ。右側は最低水準まで引き上げた。個性は豪傑、昂揚を追加してバケモノ感を。猪突は削除したが直情は残した。戦法には突撃と奮戦を追加。
袁遺 エンイ
52 39 57 75 70
個性:名声
戦法:斉射
陣形:雁行
演義・正史の両方で登場。
袁術の兄、または従兄?山陽太守。反董卓連合の呼びかけに応じて参加した諸侯の一人。連合軍では特に活躍していない。後に袁紹より揚州刺史に任命されるが、揚州の支配を巡り袁術と対立して敗れる。逃亡先で部下に裏切られ殺された。
曹操から「大人になっても学ぶ姿勢を失っていないのは自分と袁遺だけ」と評価されていたという話がある。というか、明らかにこの話だけで知力73になっている。優柔つけられてるのは反董卓連合軍として積極的に動かなかったから?でもそれ全員だしそんなもんじゃない?と思ったので削除。明らかに縁故だけど太守→揚州刺史となっているので政治は75で許した。普通に失敗してるし知力は下げ。
袁胤 エンイン
24 14 39 41 54
個性:
戦法:
陣形:鶴翼
演義・正史の両方で登場。袁術軍。
袁術の甥。袁術の命で丹陽太守となるが、孫策の一派に追放される。袁術の死後はその柩と家族を守って劉勲のもとへ逃れた。演義では逃げ切れず曹操軍に殺されている。
デフォルトでは低ステに加えて小心、優柔、惰弱までつけられている。別にそこまで酷くないような・・・。少なくとも最後に寝返って袁術の家族を敵に差し出したりしなかったのは偉いし、丹陽に赴任して追放されるのは袁胤のせいというよりはそもそも袁術のやり方が悪いのにも原因あるよな?ということで魅力は人並に、赤個性は削除。
閻宇 エンウ
68 63 68 73 48
個性:功名
戦法:火矢 罵声
陣形:方円 衝車
演義・正史の両方で登場。蜀軍。
演義ではロクな功績もないのに黄皓に取り入って右将軍になった雑魚扱い。正史では馬忠の後任として蜀南部の統治を行った。職務には熱心だったが、馬忠の功績には及ばなかった。のちに黄皓と結託して姜維の軍権を奪おうと企み、工作を行って諸葛瞻から上奏させたが容れられなかった。
「馬忠以上の成果が残せなかった」「姜維にとって代わろうとした」だけで、「ロクな功績もないのに右将軍になった」は創作。どこで誰と戦ったみたいな話がないので評価しづらいけど、ちょっと悪い奴ってだけで別に無能ではない・・・てかむしろ優秀寄りっぽい。蜀南部の統治って普通に大任じゃない?ゲームの数値的な話で言えば比較対象の馬忠って政治78だし、馬忠以上ではなかったと書いてるだけで別に失敗したとは書いてない。軍権奪うのも成功はしてないけど上奏まで漕ぎつけたって結構すごいと思う。姜維って「誰が見ても正しいムーブ」をやってたわけじゃないし、蜀内部で絶対の支持を得てたわけでもないから姜維の邪魔しようとしたから悪党!小物!みたいなこともない。オール60~70あたりで。赤個性は据え置き。
閻温 エンオン
36 44 55 64 68
個性:胆力
戦法:
陣形:錐行
正史のみ。後漢の官吏。涼州の別駕。
冀城が馬超に包囲された際、長安の夏侯淵に救援を求める使者として城を脱出したが捕らえられる。馬超は城の者に向かって「援軍は来ない」と伝えるように脅したが、閻温は承諾したふりをして「援軍は来る」と城兵を励ましたため、籠城軍は奮い立ち、閻温は殺された。
これ徳川家でまったく同じ話聞いたことあるな・・・。てかこういう誠実エピソードだけの人って三国志14はゲーム的に良さを表現できないのが悲しい。魅力盛るぐらいしかない。涼州別駕なら政治はもうちょいあってもいいのでは?と思ったので64に。
袁渙 エンカン
30 17 78 88 88
個性:泰然 教化 寡欲 能吏 文化
戦法:鼓舞 治療 鎮静
陣形:方円 鶴翼
正史のみ。袁術→呂布と仕え、最終的には魏軍。
劉備から推薦され袁術に仕えたが、袁術が呂布に敗戦した際に捕虜となり、呂布に仕えることになる。呂布のもとでは劉備を罵倒する内容の手紙を書くように命じられ、これを拒否した。怒った呂布は袁渙に武器を突き付けて無理やり手紙を書かせようとした。しかし、袁渙は顔色を変えずに「そのような文書を用いても劉備の徳が高ければむしろ呂布のほうが辱められることになる」と説き、呂布は引き下がったという。呂布が曹操に敗れた際には他の者たちが皆曹操に平伏する中、袁渙だけは堂々とした態度で曹操と対等に挨拶をした。このとき曹操は降伏した者たちに物資を分け与えたが、他の者たちが運べるだけの物資を持ち出そうとするのをよそに袁渙は書籍数百巻と僅かな食料を引き取ったため、曹操は感心したという。
曹操配下となってからは郎中令兼行御史大夫事まで進み、内政面で献策を行った。清貧にして慎重な人柄であり、清廉な政治を行って人民から慕われた。劉備が死んだ際には他の者たちが慶賀する中、昔の誼と恩義を重視してそれに加わらなかった。袁渙が亡くなると、曹操は涙を流して悲しんだという。
東晋の「三国名臣序賛」では魏から9人、蜀から4人、呉から7人が名臣として賞賛されており、その中に名を挙げられている。
正史長い!御史大夫事ってどんなもん??と思って調べたら副丞相らしい。めちゃくちゃすごいやん。デフォルトのステータスでもまずまずいい感じだけど、袁術→呂布と負け勢力に身を置いていながら生き延びて見事に立身出世を果たしている辺りを評価して知力、政治、魅力をちょっと盛った。個性には能吏と文化を追加。
袁煕 エンキ
60 51 55 60 63
個性:特使 親鳥 慈悲 血路
戦法:連弩 治療 井闌
陣形:雁行 井闌
演義・正史の両方で登場。袁紹の次男。袁譚の弟、袁尚の兄。
幽州刺史。袁紹が病没した際には兄と弟が後継を争ったが、袁煕は争いに加わらなかった。弟の袁尚が曹操に敗れると、曹操と敵対することになるとわかっていながら袁尚を迎え入れて助けた。このため幽州の豪族の離反を招き、遼西の烏桓を頼って逃亡することになる。曹操軍が遼西まで侵攻すると烏桓王の蹋頓とともに迎撃するが、敗れて公孫康のもとへ落ち延びた。曹操を恐れた公孫康は袁煕と袁尚をだまし討ちにして曹操に恭順しようと企んでおり、袁煕と袁尚はそれを承知で公孫康を逆にやり込めて軍を奪おうと考えたが失敗し殺された。
かなり仕方ない部分もあると思うけど、大局的には判断ミスで幽州を失ってるし、その後もプラスに評価できるようなところも特にないしでデフォルトの知力68評価はちょっと難しい。あと小心ついてるけど言うほど小心か?小心だったら弟助けずに曹操に降伏すると思うけど・・・。演義で袁紹に「柔弱でダメ」って言われてるのを拾ったフレーバーかな。動員と工面持ってるのもちょっとよくわからない。全体的にステータスを下げて動員、工面、小心を削除。個性には慈悲と血路を追加した。