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【三国志】史実武将 能力編集メモ ③(エ-2)

 

三國志14 with パワーアップキット

三国志信長の野望をやるときに武将の能力を細かく調整するのが趣味なんですが、何を根拠に自分がそういう調整を行ったのかがわからなくなることが多いため、メモとして残すことにしました。

三国志のエディットは「史実に寄せる人」と「演義に寄せる人」で分かれると思います。自分は基本的に史実と演義のいいとこ取りをする方針です。そのため、全体的に数値がインフレ化する傾向にあります。

また、各内容はインターネットで5分程度で調べて適当に解釈したものなので、間違っている可能性がかなりあります。

ステータス・スキルセットは三國志14PKの物です。主義・政策は調整による影響力が強すぎるので基本変えてません。

全武将の編集を目指しています。五十音順に気が向いたときに載せていく予定。
1記事5000~8000字ぐらいで区切ってます。女と古武将(いにしえ武将)は使わないので編集しません。

 

 

閻行 エンコウ

73 84 66 66 74

個性:豪傑 果敢
戦法:急襲 攪乱
陣形:魚鱗 錐行 鋒矢

正史のみ。韓遂の配下、のち魏軍。 
若い頃から猛者として名を馳せており、韓遂馬騰と争っていた時期には馬超を討ち取る手前まで追い詰めたこともある。曹操の仲介によって韓遂馬騰の間で和睦が結ばれると使者として曹操のもとに派遣され、曹操に気に入られて犍為太守となる。この際に恭順の証として曹操に実父を預ける約束をし、韓遂のもとに戻った閻行は韓遂にも家族を差し出して帰順するように説得した。韓遂はそれに同意して曹操に家族を預けたが、馬超らが曹操に対して反乱を企てていることを聞かされると韓遂は翻意し、すでに家族を差し出しているにも関わらず反乱に組した。
曹操は約束を反故にした韓遂の一族をすべて殺した一方で、閻行の父は殺さず、父が生きていることを伝えて閻行を懐柔しようとした。韓遂は娘を閻行に嫁がせることで一族に取り込み、西平郡の統治という大任を与えて引き留めようとしたが、閻行は曹操につくことを決め謀反を起こした。韓遂羌族の援軍を呼んでよく防いだため、閻行は韓遂の討伐を諦めて曹操に降った。閻行を迎えた曹操は朝廷に上奏して爵位を与え、翌年には夏侯淵に代わって涼州の守備を任せている。
後に韓遂が異民族の兵を率いて涼州に戻ろうとした時には逆襲を恐れて逃亡することを考えたが、戦いの直前に韓遂が自分の部下に背かれて死んだため、閻行は戦わずして勝つことができた。

韓遂曹操の間で激しく取り合いになる男。そんだけ光る物があったと考えられる。「馬超を討ち取りそうになったことがあるぐらい強い」という話が最大の評価ポイントなんだけど、馬超って武力96なんよね。この一文だけで97とかにするのは無理だし若き日のことという解釈で武力は据え置いた。そもそも後で馬超の武力下げるかもしらんけど。
絶対中央に恭順したくないマン揃いのイメージしかない涼州の将の中でいち早く曹操の実力を理解して臣従を決断し、韓遂には娘まで貰っておきながら(儒教的価値観では父親最優先ではあるが)曹操についてる嗅覚は評価できると思う。このへんで知力は上げた。最後の「逃げようとした」ってとこの解釈が難しい。ここまじでよくわからん。この話がなかったら魅力と統率をもうちょい上げてもよかった。

 

 

閻柔 エンジュウ

82 76 89 83 92

個性:召募 嚮導 親鳥 論客 特使
戦法:突撃 奮戦 斉射 鼓舞
陣形:鶴翼 雁行 長蛇 魚鱗 方円

正史のみ。魏軍。
若い頃に北方の異民族に捕らえられたが、捕らわれの身でありながら異民族と非常に親密になり、鮮卑族とともに烏桓校尉の邢挙を討ってその地位を奪った。幽州を統治していた劉虞が公孫瓚に殺されると、劉虞配下の鮮于輔らに擁立され、自ら築いた人脈で数万の軍勢を集めたという。閻柔と鮮于輔の軍は公孫瓚の軍勢を何度も破り、袁紹とも協力してついには公孫瓚を滅ぼした。閻柔はこの戦いを通じて袁紹と誼を通じ、袁紹と異民族の間を取り持った。
官渡の戦いの際には使者を派遣して曹操に臣従し、護烏桓校尉の官位と爵位を与えられている。曹操袁譚を滅ぼした際には異民族の兵を率いて曹操のもとへ参じて名馬を献上した。以後は曹操軍の傘下として異民族との交渉や平定に従事して功績を上げた。
曹丕の代には度遼将軍となり、県侯の爵位を得ている。曹操にも曹丕にもまるで家族のように寵愛されたという。曹丕後漢からの禅譲を受けるように勧める魏公卿上尊号奏においては曹洪や曹真などの曹丕の親族や、張郃徐晃などの建国に大きく貢献した将軍たちよりも上位に名を連ねている。

何この人怖くない?すべての人と仲良くなってすべての目的を達成してないか?よくわからない部分が多すぎてこれ以上はあげられないけど、野良で集めた軍隊を率いて公孫瓚に勝ってる(というかなんで劉虞残党に担がれるのかも謎)し、袁紹とくっついておきながら曹操に乗り換えた判断もはまってるし、魏でもするすると出世している。ずっと従軍してたわけでもないし宮廷にいたわけでもないのに曹操曹丕には家族のように愛されたって何?普通に怖いだろ。異民族に捕まったところから始まるサクセスストーリーみたいなのが謎すぎ。転生なろう系主人公かよ。全体的に補強して個性には特使と論客を追加した。戦法と陣形も強化。

 

 

袁術 エンジュツ

28 28 30 32 71

個性:名声 召募 徴税 高慢 惰弱
戦法:袁家栄光 
陣形:鶴翼 方円
政策:政令徹底4

演義・正史の両方で登場。父は司空の袁逢、袁紹の従弟(異母弟?)。
四世三公の名門、袁家の御曹司。正史と演義で役回りはほとんど変わらない。
孝廉の推挙で後漢の役人として出仕。郎中に就任し、中郎将に上った。若い頃から本流である自分よりも袁紹のほうが人望があることを激しく妬んでおり、母の身分が低いことをあげつらって袁紹をたびたび中傷した。霊帝崩御後は何進による宦官誅殺の計画に曹操袁紹とともに参加している。董卓が台頭すると後将軍となり、当初は董卓の傘下で働いたが、董卓の暴政が強まるにつれ危険を感じ中央から逃れ南陽へ移った。南陽では孫堅豫州刺史に任じて支配下に置き、董卓に対抗した。孫堅董卓軍を破って洛陽に入ったため、その主君である袁術もおおいに名声を得たが、南陽における袁術の政治は私欲による苛烈な徴税が行われ、民衆に憎まれたという。
袁紹とは一時協力関係にあったものの、すぐに対立するようになった。献帝を傀儡にする董卓に対抗するために皇帝の血縁である劉虞を擁立しようと考える袁紹に対して、袁術はそもそも漢室自体を尊重しておらず、最終的には協力するふりをして劉虞を騙して軍勢を奪い取った。また、隣国にあたる荊州劉表とも折り合わず、袁紹と敵対していた公孫瓚と結んで袁紹-劉表ラインに対抗した。袁術孫堅を使って劉表を討伐しようとしたが、孫堅は襄陽の戦いで敗れて戦死した。この劉表討伐の動きに連動した公孫瓚による袁紹への攻撃、陶謙による曹操への攻撃も失敗した。
翌年に袁術は挽回を図って自ら軍を率い曹操を攻撃したがこれも大敗し、劉表に退路を塞がれたために南陽を捨て、劉繇から揚州の寿春を奪って本拠にした。負け続きで明らかに落ち目の袁術であったが、この時期に長安を奪った李傕と利害が一致したため、李傕から袁術に同盟の申し入れがあり、袁術は左将軍、陽翟侯に任じられた。この際に袁術後漢の役人を帰さず、強請って自らの部下達にも官職を与えさせたという。また、同時期には袁術の力が弱まったことで独自の動きを見せるようになってきた陶謙を自勢力に引き留めるために陳珪の家族を人質に取って脅して失敗したり、陶謙の後釜になった劉備を引き入れられずに袁紹側に取られたり、孫策を廬江太守にする約束を反故にして忠誠を失ったりと、軽挙妄動で細かい失点を重ねている。
寿春に移ってからは元来の揚州の支配者である劉繇との戦いが続いていたが、これを孫策に任せて徐州の劉備を攻略しようと目論み、袁術は自ら軍を率いて劉備と対陣した。袁術は策を講じて劉備のもとに身を寄せていた呂布に裏切るよう促し、下邳を守っていた曹豹が張飛を追放して呂布を迎え入れたため、劉備は退却した。その後の呂布の行動は支離滅裂で、呂布劉備と和解した上で袁術劉備も強引に講和させた。袁術呂布を見限って陳宮と郝萌に反乱を起こさせたが、これは失敗した。袁術の采配による徐州攻略がまったく進んでいない一方で、この間に足元を任されていた孫策は劉繇を破って支配域を順調に拡大しており、南方を攻略し自分の決めた太守を勝手に置くなどして独自の動きを強めるようになった。
曹操献帝を擁立して司空になると、袁術には逆賊として賞金がかけられた。もとより漢王朝を重んじる精神を持っていなかった袁術は、以前より考えていた自らが皇帝になるという計画を実行し、国号を仲とした。この動きは当然ながら諸侯にはまったく受け入れられず、袁術の政治は民衆からの人気もなかったため、家臣からも離反者が相次いだ。巻き返しを図って呂布に婚姻同盟を持ち掛けるもこれを拒否された上、呂布を攻めて敗北している。その後、淮陽の劉寵と駱俊を暗殺して一時陳国を占拠したが、曹操が軍を率いて出てくると大敗した。
呂布曹操に押され始めると袁術呂布は再び同盟を結んだが、苦し紛れでしかなく互いに協力姿勢にも欠けており、袁術は下邳で包囲された呂布を救援しなかった。もはやすべての人望を失った袁術は今後の曹操袁紹との決戦を予測し、皇帝の位を差し出して協力することを約束して袁紹に助けを求めた。袁紹はこれを承諾して迎えを寄越したが、袁術は病にかかって袁紹のもとへ辿り着くことなく病死した。

長い!家格と野心と行動力の男。ほとんどすべてに失敗しているが、普通この1回で終わってるだろみたいな失敗を何度も重ねて生き残るバイタリティが凄まじい。全部失敗するのに策謀好きで、足利義昭とかにキャラが近い感じがする。政治の悪評に関してはこの時期に民を飢えさせてるのは袁術だけじゃないし誇張入ってるような気も?デフォルトで付与されている個性は一見イメージ通りっぽいような気もするけど、効果がちぐはぐ。名声と召募でフェニックスパワーを表現し、赤は高慢と惰弱に置き換えた。意外とデフォルトのステータスが高いのは謎。武力65知力68って何で?ステは全体的に丸い無能に書き換え。魅力はこんだけ失敗しても勢力を維持できるネームバリューで盛り。戦法と陣形いっぱい持ってるのはよくわからんかったから消した。普段は変えないけど政策を「政令徹底4」に変更。とにかく無駄にジタバタしているので命令書の枚数が増えるものを付けて手数を出せるようにしてみた。

 

 

袁春卿 エンシュンケイ

55 50 52 66 58

個性:名声
戦法:鼓舞 
陣形:方円

正史のみ。袁紹軍。
魏郡太守。袁紹の死後に鄴で曹操軍に包囲される。曹操は袁春卿の父である袁元長を使って降伏を呼び掛けた。

その後どうなったのかどこにも書いてない。拒否してたら逆に何か話残ってるはずだからたぶん降伏した?太守になれたのも縁故っぽいし評価しづらい。なんでデフォで動員持ってるのかもよくわからない。ステータスは右側が低めにされてるけど別に下げる要素もないので、太守で失敗した話もないならこんぐらいでもいいだろってレベルまでは補強。代わりに統率は下げた。個性は動員ではなく名声に。

 

袁尚 エンショウ

76 73 46 50 67

個性:高揚 胆力 動員 
戦法:突撃 鯨波 挑発 衝車
陣形:魚鱗 鋒矢 衝車

演義・正史の両方で登場。袁紹軍。
袁紹の三男。容姿端麗で武勇にも秀でたため袁紹に寵愛された。袁紹は長男の袁譚よりも三男の袁尚を後継に考えていたといわれる。袁紹が後継者を指名せずに死んだため、重臣の逢紀と審配に推戴され、長男の袁譚と激しく対立することになる。この対立は家臣の派閥争いを表面化させ、曹操軍から攻撃を受けた際にも兄弟間で援軍を拒否するなど、軍事面でも大きな不利を招いた。
鄴まで勢力を伸ばしてきた曹操軍に対し袁尚の軍が逆撃して曹操を許まで退けることに成功したが、曹操が自分たちの勢力圏から居なくなった途端に袁尚袁譚の対立は直接の武力抗争にまで発展した。先に仕掛けたのは袁譚だったが、袁尚は反撃してこれを破り、一時は優位に立っている。窮地に陥った袁譚曹操に降伏することで後ろ盾を得て以後は袁尚を圧倒するようになり、敗れた袁尚袁煕を頼ったのち烏桓の勢力下へ逃れた。曹操軍が遼西まで侵攻した際には烏桓の軍とともに戦ったが、ここでも敗れて公孫康の元に逃げ込み、そこで公孫康に取り押さえられ処刑された。

なんか無能イメージあるけど読んだ限り軍を率いたときは普通に勝ってるじゃんという印象。曹操軍も撃退している(これはわざと下がったのかもしれんけど)し、兄弟対決でも直接の殴り合いでは勝っている。このへんの評価で統率はちょっと高めにつけた。一方で、せっかく戦いには勝ってるのに有利な状況を作れていないし、袁紹の残した勢力を割って衰退させた上で結局負けて死んでいるので右側はこのぐらいが限界。デフォでは猪突、粗忽、高慢と赤個性が山盛り付けられているが、大局観が無いだけで軍隊の指揮では別に失敗していないのでそれは消した。戦法はデフォで結構持っているのでそのまま。勢力の長としては良くないけど部隊長としてはまあまあみたいなステータスに。